てんさいは忘れたころにやって来る
阪神大震災の発生から、もう30年が経った。ちょうど、1月17日午前5時46分に発生したことを覚えている。当時の「成人の日」が15日で日曜日だったので、月曜日の16日が振り替え休日。その連休明けの17日の朝早くに地震が発生した。まだ6時前で布団の中で寝ていたけれども、なぜか目が覚めた瞬間に突き上げるような衝撃に見舞われた。 寝ぼけ眼も瞬間に目覚め、家族に地震時の避難体制をとるように言っていた。当時は、京都府の端っこに住んでいたけれども、とてつもない大きな揺れだったことだけは、鮮明に覚えている。このあと、7時くらいまでは大阪に大きな地震があったとの報道はあったけれども、神戸のことは一切言っていなかった。被害も大阪中心に述べられていて、神戸からは情報がなく平穏のような感じで報道されていた。その後、7時を過ぎるころから、神戸の方向から煙が数本立ち上がっているという情報が流れだした。 神戸は非常に大きな被害があり、情報を伝える術もなかったのだと思うけれども、その時にはよくわからなかった。その後は、続々と神戸を中心に被害の情報が入りだし、未曽有の地震が発生したことがようやくわかりだした。 当時、σ(-"-) の実家も神戸にあり(今もあります)、家屋は半壊、電気・ガス・水道は止まり、大変だったということを後から聞いた。 なんとか、会社の事務所には出勤したものの、情報収集と週明けということで今後の調整で忙殺された。実家には連絡がつかず、電車は西宮から西は止まっており、東の地域から被災地に入ることは困難だった。安否確認も困難を極めたが、神戸に住んでいた姉となんとか連絡がつき無事を確認することができた。結局、実家に行けたのは3か月後の4月に入ってからだった。 あのころは、携帯電話が今のようには普及しておらず、公衆電話が連絡を取る手段となっていた。テレホンカード型の公衆電話はつながるということで、そちらの公衆電話は列をなしていた。 あれから、30年。すっかり景色は変わった。家屋の倒壊が多かった地域も、火災により焼けた地域もすっかり復興し、悲しみを胸に秘めながらも日々の生活を営んでいる。公衆電話はすっかり少なくなってしまったけれども、ほとんどの人がスマホを所持する社会となった。 東北大震災、熊本震災、能登半島地震と大きな地震が発生している。そしてこれからの30年間で南海トラフ地...