少子高齢化
今日は、昭和の日である。換算すると、昭和100年となる。春の天気は循環していくのが典型的なので、今日も下り坂に向かって曇り空が広がっている。気温もそんなに上がっておらず、昨日の夏日の暖かさからすると随分と肌寒い感じがしてくる。近頃は、寒暖差が大きくなっているような気がしないでもない。 ”少子高齢化”という言葉がある。今の日本においては、とても便利な言葉なようだ。もう、30年以上前から使われていると思う。σ(-"-) が職業人生を送っている真っただ中の頃から、使われている言葉だ。そして、なにか不都合があると”少子高齢化”が問題だとマスコミは煽ってくる。マスコミにとっては、万能薬のようなお言葉の一つなんだろう。 そういえば、他人の褌で相撲を取っているような、連合とか労働組合の人たちも、何かあると”少子高齢化”という言葉を口にする。そして、彼らの文章の中には”少子高齢化”という言葉が散りばめられている。連合の政策を語っている文章にも、”少子高齢化”という文言はたくさん出てくる。まるで、定型句のようでもある。そして、連合が多用するから、その傘下の労働組合達も何の疑いもなく”少子高齢化”という言葉を多用している。 σ(-"-) は、当時から不思議に思っているのだけれども、日本経済の問題点は”少子高齢化”の一言で済ませられるほど、単純なものでもないだろうという事だ。そして、高齢化が本当に問題点だったり、日本の社会における忌み嫌われるほどのモノなんだろうか、ということである。 古代より、あらゆる国の統治者や権威のある人たちの多くは、不老不死を追い求めてきた歴史があるように感じている。世界的にもピラミッド文化を形成していたエジプト文明、そして揚子江やら黄河を擁していた中国文明も、当時の権力者やその皇后を含めた取り巻き達も不老不死を希求していたのだと思っている。日本でいえば、卑弥呼であったり当時の権力者たち、その後の平安時代の貴族に至っても、不老不死を欲していたはずだ。 かつて、日本では人生50年と言われていた。それが、戦後、寿命が短期間で急速に伸びてきた。50年のはずが60年となり、昭和の終盤には80年を越えるようになっている。いまや、なんなら100年ということも視野に入ってきているのだと思う。 とすれば、古代から人間が追い求めてきた不老不死に近づいてきており...