歴史から何も学べない 表面しかみないサナエさんの悪癖
台風一過したあとは、すっきりとした天気になるはずである。それなのに、天気は不安定なままである。どうも、セオリー通りの動きにならないのが今年の天気のようである。今年は暖冬なんて言っているけれども、それもどこまで信用できるものやら・・・
むかし、この国に戦争があったんじゃ。そう、80有余年前のことじゃった。ワシの父親も戦争に徴収されて、最前線に送り込まれたんじゃ。あのころは‘‘ABCD包囲網’’を敷かれて、日本には石油が入ってこんようになった。
石油を求めて日本は、領土の拡大を図らざるを得なんだ。当初は威勢の良かった戦果ではあったが、物量共に勝る米国に徐々に押されるようになっていったんじゃ。そんな状況でも、日本は兵站線を無視してまでも戦線を拡大しているとしか思えない状況を作っていったんじゃ。
思うような戦果が挙げにくくなっても、国民の戦意高揚をはかるため、軍部は都合の良い情報しか流さんようになっていった。自分たちに都合の良い情報だけを国民に垂れ流し、都合の悪い事実は隠すようになった。もとより、国内の政治は昭和15年頃より‘‘大政翼賛会’’となり、異論をはさむことは敵国を利することと排除される運命となった。
余りにも一方的な、軍部(政府)に都合の良い情報ばかりを流し、情報を出すマスコミは軍部に忖度したのか、加担したのか、権力におもねったのか、正確な情報を流すことはなくなった。おそらくは、時代的にも正しい情報を流そうとすると、憲兵やら敵国への加担とみなされ、迫害されていたために、正しい情報を流すことすらできなくなったのだろう。
そして、戦争が終わってから新聞を始めとする当時のマスコミは反省を込めて、‘‘ペンは剣よりも強し’’と、正しい情報のありがたさを享受する時代へと移り変わっていったんじゃ。しかし権力と情報の蜜月関係はまたおかしゅうなった。振り子の運動が反動によって動くのと同じように、逆の方向へ、リベラル寄りへと振れ出してしまったんじゃ。政府を批判さえすればよいと、誤った価値観がまたぞろ芽を出したともいえる。
耳に痛いことをいってくれる意見を聞き、自分たちの過ちをただすことに臆することなく正していくことが権力を握るものには欠かせない姿勢なんじゃ。ところが、戦後80年もこえると、自分に都合のよい意見しか耳にしなくなる。誤っていようとも、それを顧みることすらしなくなり、暴走をする。その発端を切ったのは小泉純一郎氏であり、亀井静香氏であったのかもしれない。ひょっとすると、竹下昇氏や金丸信氏辺りにまでさかのぼるのやもしれん。
安倍晋三氏は「丁寧に説明する」という言葉だけで、いっさい自分に都合の悪いことには口をつぐんでおった。この対応方法が王道だと勘違いしたのが、高市早苗氏なんだろう。高市総理大臣は歴史に学ぶことなく、自分の都合のいいことにしか耳を傾けない。記者会見をすると表現の自由を標榜しながら、不躾な質問を浴びせる記者たちを遠のけるのは彼女の考え方からするとすごく自然なことであったんじゃ。
自分の言いたいことだけをSNSで垂れ流し、自分に都合のいい意見だけを耳にしている。そんな、城砦に閉じこもったような独りよがりの考え方であれば、選択する道を誤るのは必定なんじゃ。アメリカのトランプ大統領が行っているからといって、彼のSNSの手法をも真似ているのだろう。まだまだ、SNSには成熟したルールができておるわけでも、適切に運用する術も整備はされておらん、混とんとした状態にあるにも関わらず、そこに住む自分に近しい考えの住民だけとコンタクトを取る。そんなことでは、了見が狭もうなるのは火を見るよりも明らかじゃ。
情報を統制して、この国を壊滅させた旧軍部と何ら変わらんことを、高石サナエ総理大臣はやろうとしとるとしか思えん。権力を持つ者は、謙虚に自分の耳に痛いことにも耳を傾ける度量がなければ、その国を内部から滅ぼしかねんという教訓が生かし切れておらんようじゃ。表現の自由ということを錦の御旗にして、無法状態のSNSのなかで自分のお花畑にとどまっているようでは、まともなリーダーとは到底言えん。80有余年前の教訓を、教訓として我が身に置き換えることも出けんようじゃ、この国の行く末など到底想像も出けんことじゃろう。歴史に学ぶことの出けんモンの愚かなる末路しか見出せんじゃろな。耳に痛いことを言ってくれる人がいる間が人間華であることを肝に銘じてもらいたいものじゃ。





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