エッセンシャルワーカー、って何なん
朝方はまだぐずついていた天気も、午前中にはすっかりと青空が広がり、気持ちの良い春の陽射しが差し込む日となった。おかげで、気温もぐんぐんとあがっていき、初夏の様相である。そろそろ、クールビズの季節になる。ついこの間までは、寒い寒いと言っていたのに、クールビズに衣替えとなるとは、時の過ぎるのは早いなぁ。
久々に「エッセンシャルワーカー」という言葉を聞いた。コロナ禍の時辺りから、急に使われだした言葉だと思っている。それが、近頃のイスラエルとアメリカによるイランへの侵攻によるオイルショックにかこつけて、またぞろ顔を出し始めたようだ。なんだか、進歩系を気取っている方々が良く使う、横文字系のいかにもな言葉だ。その証左に、労働組合の集まりである連合系の文章には、当時、幾度となくこの言葉が並んでいたものだ。とにかく、連合の人たちって、進歩的であるとか自分たちが誰よりも先進的で物事を良く知っているといいたい層の人たちの集まりなのだろう。とにかく、コロナ禍のころにはあらゆる文章に”エッセンシャルワーカー”の文字があふれかえっていた。あたかも、自分たちは選民であるかのような誤解を与えることも厭わないようだった。
あの当時は、人が面と向かって接することが推奨されていない、とにかく人ごみを避けるような風潮だった。その中で、市役所などに集う働く人の組合が好んで「エッセンシャルワーカー」という言葉を使っていた。役所の窓口は必要にして欠かせざるお仕事で、その窓口業務は無くてはならない職場だとアピールができる。いかにも、左巻きの方々が好みそうな都合の良い言葉なんだろう。
しかし、σ(-"-) は時々思うんだけれども、必要不可欠でない”仕事”ってないだろう。この世で営まれる仕事は、どんなものも必要不可欠なのだ。それを、ことさら、自分たちの優位性を示すかのように、エッセンシャルだなんて横文字を使いながら、職業差別的なことを平然とやってのけているのではないかと思っている。
その風潮にのっかって、似非経営者とか、無能な経営患部と言われる人々までもが、「エッセンシャルワーカー・・・」と言い出してきた。エッセンシャルでない仕事なんてないという事すらわかっていらっしゃらない。あなた方経営患部が言っているお仕事をエッセンシャルワークだとでも思っていらっしゃるのかい。そのどうでもよい、会議のためのしごとやら、言い訳だけのための仕事こそがいらないでしょ。アリバイ作りに、部下の仕事を増やさないでいただきたいものだ。そう、そのお口で言っているあなたこそが、エッセンシャルワーカーからはみだした、エッセンシャルワークに程遠い何も専務じゃないですか。
そもそも、”エッセンシャルワーカー”をことさら声高に叫ぶ一部の人たちは、憲法14条の「すべての国民は、法の下に平等であって・・・社会的関係において差別されない」やら、憲法22条「職業選択の自由」に反しているんじゃないだろうか。そして、差別していることを隠すために、ことさら横文字の”エッセンシャルワーカー”なる言葉を隠れ蓑にしながら、差別の助長をしているのではないかと、天邪鬼な σ(-"-) は穿った見方をしてしまう。
連合の方々も、きっと労働者の味方のようなふりをしながら、多くの労働者を搾取する側にシレ~ッと回っているから、好んで”エッセンシャルワーカー”という言葉を、文章のなかに散りばめているに違いないと思っている。その真意は、労働者を自分たちの都合のいい働き手をして利用しよう、少々の困難があっても都合よく働いてもらう、という本心を隠して表面的に言っているという、下心が見え隠れしていると感じてしまう。そして、”豚もおだてりゃ木に登る”、危険な仕事であるけれども、命じる側の都合よく働かせたい。おだてて、危険の最前線に立たせてしまえばよい、使い捨ての駒としての役割をさせたいのだろう。現場もしらない、自らの手を汚すこともなく、机上の空論だけで物事を計っている。そして、机上の空論を基に国や官庁のお偉いさんと言われる人と対等に話すことにしか興味のなさそうな連合らしい言葉の選び方だ。そして、今、マスコミが同じようにこの言葉を選んでいることに、ただただ、σ(-"-) は嫌悪感しか湧いてこない。




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