にほん昔話 算盤がはじけないお爺さん

 長野で震度5弱の地震が発生した。この地震に被災された方々のご無事をお祈り申し上げます。この時期は10年前に熊本の益城町で”熊本大震災”が起こった時に重なる。そういえば、あの頃は鹿児島に赴任中で、夜の10時くらいに地震を感じたように思う。熊本とは、随分と離れていたので、そんなに大きな地震とは思わなかったのだけれども、翌日になってすごい地震だったのだとわかってびっくりした。その後、九州新幹線が動かなかったりして、出張に困難を来たしたのを覚えている。



論語、論語、孫ぅ・・・あっ、言い間違えた。


Long Long Ago 

そう、むかし、むかし、ある島に淳々爺さんが住んでおったそうな。淳々爺さんは、子供のころから勉学に励んで、村の代表にまでなっていたそうじゃ。とにかく、淳々爺さんは一番に成りたくて、成りたくて仕方がないような性格じゃった。何がしたいというよりも、一番になりたいという思いがとても強かったんじゃ。しかし、その島の村には淳々爺さんと同じく、代表を務める卓也爺さんもいたそうな。卓也爺さんは、情報関係を取り仕切っている仕事をしており、自分に有利な情報を島のみんなに流しながら、代表に昇り詰めたのだそうな。


卓也爺さんさえいなければ、淳々爺さんは選挙に勝てるのにと思いながらも、選挙で取りこぼすことがあっても、比例代表で復活当選をする日々もあったそうじゃ。ある年、緑の狸の百合子婆さんが「希望の党」を立ち上げ、一時は破竹の勢いを持っていたんじゃ。その勢いに浮かれた百合子婆さんは、うかつにも「政策が異なる人は排除します」という一言を発してしまい、突然の逆風に勢いを落としたんだとさ。なんとか、淳々爺さんは比例復活できたものの、「希望の党」はもう先がないと見切りをつけて、無所属となることを自ら選択した。その時々で、”卓也爺さん”に勝てそうならば、節操もなく右でも、左でも関係なく擦り寄ることにしたんだそうな。

希望の党からはじき出された人々は、「立憲民主党」を結成したけれども、淳々爺さんは無所属を決め込みながら、都合の良い時だけは「立憲民主党」へと擦り寄ることにしたそうな。特に、お役所で働く人々の応援をもらえるので、つかず離れずの立ち位置をうまく利用しながら、選挙対策にいそしんでいたそうな。


それからしばらくして、「立憲民主党」は政権を交代を目指すんだとして「共産党」と選挙協力をすることまでも決めたんだとか。選挙に勝つことを第一にしか考えていない淳々爺さんは、もろ手を挙げてこの選挙協力に飛び乗ったんだそうじゃ。とにかく、卓也爺さんとの選挙に勝つにはあと票あればよいと常々思っていたんじゃから、当然と言えば当然の判断なんじゃな。なんせ、いま淳々爺さんが選挙で獲得している票数に「共産党」の票数を足しこめば、ゆうに卓也爺さんの獲得票数を超えることができると算盤を弾いたんじゃ。

淳々爺さんは子供のころから一所懸命勉強してきた割に、計算については加算と乗算しか考えなかったそうなんじゃ。淳々爺さんを応援している仲間のうちには、どうしても共産党とは相いれないものも一定数いることに考えが及ばなかったのじゃわ。そして、選挙となった暁には、淳々爺さんが弾いた算盤ではなく、離れた行った仲間の票数の減数が多くて、はたまた比例復活でしか当選できんじゃった。計算には、引き算も除算もあるのに、そちらには頭を回さんかったんじゃわ。なによりも、自分勝手な見込みやら、自分の都合だけの想定しかできずにおり、人々の気持ちなんかはどうにでもなると思うとったんじゃろう。それよりも、自分の考えに否定的な人を非難するような始末じゃ。


あろうことか、淳々爺さんは”共産党”と一緒になるようなことまで、踏み込んで言い出しておったそうな。まるで、”雀のお宿”の話で、大きなつづらと小さなつづらのどちらを選ぶのかときかれて、大きなつづらを選んだようなもんじゃ。人々は、欲張りな淳々爺さんは大きなつづらを選んだばっかりに、吠え面をかくことになるんじゃないかともうわさをしたそうな。しかし、淳々爺さんは「”小さなつづら”では選挙には勝てん。」「選挙に勝つには”大きなつづら”」に限ると嘯いておったんじゃ。しかし、”大きなつづら”にはやはりお宝は入っておらず、入っておったものは人から忌み嫌われるものばかりじゃった。なんとか、選挙には滑り込んで勝利したものの、党はすっかり小さく小さくなったしもうた。


本当は、人々の生活を良くするための政策を考える、村の安全を守る政策を考える、経済的な発展のために必要な将来の施策を考えるといった、根本的なことは全くしなかった。淳々爺さんがしたことと言えば、選挙に勝つためにはどうするかという、目先の手段を目的と取り違えて懸命に努力したことだけなんじゃと。そもそも、淳々爺さんは政治家になってこれを成し遂げるんだという信念もなく、ただただ選挙に通って総理大臣になりたいだけじゃったそうじゃ。そのため、幹事長やら党の代表に手をあげておるんじゃ。その割には、人のために汗を流すとか、党務に励んで縁の下の力持ち的なことはせんかったんじゃ。そんな淳々爺さんが、少ないライバルを蹴落として代表の役職に就いても、言っていることは表面的で、ただ長いだけで具体的なことは一つもなく、なにを言うておるのかわからんかったそうな。人々からは、淳々構文はもういらん、とまで揶揄されておったんじゃと。それでも、淳々爺さんは”なぜ君は総理大臣になれないのか”という映画に出たりしながら、目立ってなんぼ。とにかく選挙に通って、総理大臣になりたい病をますますこじらせていったじゃと。この続きは次回のお楽しみじゃ。




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