日本昔話 ファーストペンギン
昨日の夕方から降り出した雨が、しとしとと降っている。冬の冷たい雨ではないものの、気温はなかなか上がらない。ひな祭りの節句なのに、すっきりとしないお天気だ。きっと、今日の寒さは、今後の暖かい日に向けた準備みたいなものとなるんだろう。春はもうそこまで来ているんだろうな。
論語、論語、顎ぅ・・・あっ、言い間違えた。
Long Long Ago そう、昔むかしのことです。
あるところに、亜希子という人が住んでいました。亜希子さんのお家は、その地方の豪農で名家でした。毎年、毎年、たくさんのお米を作る田んぼがあり、多くの人が出入りして、おコメ作りをしていました。
ある時、高齢のお父さんの代替わりとして、家長となり本格的に農業に取り組むこととなりましたとさ。お父さんの代のずーと前から使えていた小作達も、亜希子さんを盛り立てておコメ作りに精を出し、毎年、毎年、お米は豊作が続いていました。
ところが、ある年に夏の気温が上がらずに、お米の出来は不作となりました。
こんなにもお米が不作では、小作の人たちの生活を賄う事もなりません。
それでも、亜希子さんは何とかこの不作を乗り切ろうと、なんとか頑張っておコメ作りに精を出しました。しかし、天候の不順は一向に収まらず、ますます不作が続いていくことになりましたとさ。
そんな不作が続く中、亜希子さんはその村の重役さんから、「あちらの村の田んぼと一緒になれば、お互いが力をあわせて、1+1=3となり、この苦境を乗り切れるぞ。」と耳打ちされたのです。
不作にあえいでいた亜希子さんには渡りに船の提案です。一も二もなく、亜希子さんはその村の人たちと一緒になって米作りをすることにしました。
ところが、一緒にやってみると少し困ったことがありました。それまでのやり方と違うところがあります。また、その村の人たちは、すでに高齢であり、少し働いては長く休むという事を繰り返します。それでも、重役さんが言った「1+1=3」を信じて亜希子さんは額に汗して働きました。
そして、その年にできたお米は、あろうことか1+1=3ではなく、1+1=1でしかなかったのです。これには、亜希子さんは唖然としました。さらに、出来たお米の半分は私たちの努力のお陰と、あまりに働きの良くなかった隣村の人たちが持っていきました。
このことに、亜希子さんは怒り心頭となりました。こんなことなら、一緒にならなかった方が良かった。私は、最初から一緒になるのはおかしいと思っていたのに、重役さんの言う事を聞いたばっかりに、えらい目に合ってしまった。と嘆きました。
「わたしは、やっぱり元の場所でみんなとおコメ作りをします。」と涙目で訴えましたとさ。
「最初から、あの村の人たちと一緒になるのはおかしいと思っていたの。」
「重役さんに、反対だって言おうと思っていたの。」
「最初のペンギンとなって、多くの人が後に続いてくれたらいいの。」
「みんなと一緒にやって来た私たちの田圃ですから、やっぱりここが私の居場所だと強く感じているの」
なんやかんやと、一所懸命に言い訳をしましたが、もう誰も聞く耳を持っていません。
村人たちは「もろ手を挙げてあの村の人と一緒になれば1+1=3って言っていたのに、出来なかった言い訳がこれかよ。もう信用ならねぇ。」とそっぽを向きます。
とうとう、亜希子さんは村を一人寂しく出て行って、都会の片隅でひっそりと暮らしたそうな。そうそう、亜希子さんが村を出て行ってからは、人の上げ足取りや批判しかしない人がいなくなったので、みんなで力を合わせることの素晴らしさを、村人たちは実感ができるようになりました。かつての亜希子さんの田圃はいっとき荒れたけれども、村の人が力を合わせて作り直し、今では豊作の村として楽しく暮らしているそうな。めでたし、めでたし。



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