日本昔話 平和のお経
朝方は寒かったけれども、日中はなんとか気温も上がって来た。しかし、冷たい風が吹きつけてくるので、なかなか気温なりの暖かさを感じることができにくい。そんな中でも、梅の花は満開を迎え、今が梅の季節だと咲き誇っている。
論語、論語、顎ぅ・・・あっ、言い間違えた。
Long Long Ago そう、昔むかし
ある所に、みずほ婆さんが住んでいました。みずほ婆さんには、かつては多くの仲間がいましたけれども、みずほ婆さんの御師匠さんでもある富市爺さんが、それまでの教えを否定するような政策転換をやってのけました。
そのおかげで、一時は権勢を振るう事が出来ましたけれども、口さがない人々は富市爺さんの転向を許せないようで、「ペテン師だとか、口先だけの人だ、嘘つき野郎」などと噂をしたんだとさ。そもそも、権勢を振るったことがない人が権勢についてしまったので、あたかも腹話術人形のように、河野の爺さんのいいように操られていました。それを良しとしない、師範代のたか子婆さんは権勢から降りる決断をしましたとさ。
権勢から降りてからは、再びたか子婆さんをはじめとして、みずほ婆さんも口をとがらせ、あることないことに批判だけをするかつての姿に戻りましたとさ。
しかし、何を言っても、何を批判しても、富市爺さんが翻した政策を蒸し返され、余計に痛手を被ることがしばしばあったんだとさ。それでも、健気に何ら建設的なことは言わず、反対のための反対という批判を繰り広げたそうな。そのころになって、清美婆さんは権勢についてもう一度ブイブイいわせたいと、みずからその一族から飛び出たそうな。それでも、清美婆さんはお金についての黒い噂がついてまわり、「お金の亡者、口も汚く腹も黒い、うるさいだけの人だ」などと、村の人はもとより元の仲間からも後ろ指をさされることとなりました。
そんな中、清美婆さんが叩かれているのを見て、みずほ婆さんはほくそ笑みながら見ていましたとさ。「あの人には、私たちの平和の思いが分からないのよ。」「平和憲法があれば、戦争は起きないの。」「従軍慰安婦に謝りなさい。」「北朝鮮による拉致被害なんてでっちあげよ。」と脳内お花畑のお話を、抑揚もつけずに棒読みのセリフを吐き続けました。
そう、準群慰安婦問題ではみずほ婆さんは、自ら代表となって弁護をしてきた実績を誇っていたんだそうな。これは、とてもじゃないけれども村の人たちにとっては迷惑な人として位置づけられていたのでした。それでも、「わたしはこの一族の代表なのよ。」「私の言う事を聞かない人は一族として認めないわ。」と仲間をどんどんと切っていきました。仲間だった知子婆さんも切り捨てたんだそうじゃ。これでは、ドンドンと仲間が減っていくのは当然じゃ。みずほ婆さんは、年々我儘が強くなり、まるでどこかの独裁者のような振る舞いになっていったそうじゃ。
政策では全く見るものがなく、口を開けば「平和が一番」と米国の核の傘に守られての平和であるのに、その事実には目を向けず、平和憲法が平和を作る。平和が一番、平和が一番と、まるで何かの宗教のお経のように唱える日々となったそうじゃ。それでも、見向きもされんようになったみずほ婆さんは、タップダンスやらスタンダップコメディとかの見当違いの振る舞いで世間の耳目を集めようとしたらしい。
これには、村人たちもあきれ果ててしまい、ついにはみずほ婆さんを見放したらしい。あれほど権勢を誇っていた一族もすっかりいなくなってしまった。驕れる平家久しからずを地でいってしまったそうな。それでも、一族の沽券にかかわると一人山にこもって「平和が一番」と唱え続けたらしい。
噂では、中東にまでも行って「平和憲法を作りなさい。そうすれば、戦争は無くなる」と人々に説いて回ったらしいけれども、誰一人真剣には取り合わなかったそうな。「そんな絵空事を誰が信じるんだ。」「理想論ばかりいっていても、現実に相手が攻め込んできているのに、何もしなければ、国は無くなってしまうじゃないか。バカも休み休みに言え。」とさんざんだったらしい。さすがのみずほ婆さんも意気消沈してしまい、山の中に姿を消したそうな。今も、その地方の山では夜になると風がビュンビュンと吹いてきて、人の声のように聞こえるそうな。なんでも、耳を澄ますと「それもだめ、これもだめ、平和よ、平和、ビューン・・・」と風の音が聞こえるそうじゃ。めでたし、めでたし。






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