記憶に残る人
ICHIRO氏がMLBの殿堂入りをした。なんでも、とっても栄誉あることらしい。とにかく、日米ともに殿堂入りして、本当にめでたいものだ。σ(-"-) の頭の中では、”栄誉はA4サイズでエエンヨ~”と思ってしまう。(あ~~っ、昭和の親父が良く使うダジャレになってしまった、すいません。)
現役時代にあれだけの素晴らしい安打と、レーザービームでファンを魅了してきたのに、満票でなかったのは残念だ。しかし、ICHIRO氏の殿堂入りにより、今後の日本の選手たちも後に続けられるものというものだ。
個人的には、野茂氏なども殿堂入りしてもよかったのではないかと思う。トルネード投法という、誰もできないだろうし、真似もできそうにない投げ方で、ストレートとフォークで、バッタ、バッタとバッターを三振に切って捨てていたのは、見ていて爽快感があった。
また、ゴジラ松井氏もワールドシリーズでのホームランや、MVPなどを獲得し、存在感があったけれども、殿堂入りはできていない。やはり、ハードルは高いのだろうなぁ、と何気におもってしまう。
どの道もそうだけれども、パイオニアとして切り開いてくには、非常にパワーがいるだろう。そんなパイオニアがいてこそ、道ができあがっていく。後から続く人は、先人が切り開いた道を当たり前と思って歩んでいくことができる。
後から続く人にとっては当たり前でも、その当たり前は当たり前ではないことを知らなさすぎる。やはり、パイオニアとしての道を切り開いた人には、なんらかの尊敬の念を持ち続けていきたい。
後に続く人は、なんでこんな簡単なことに手こずっていたのだろうって、壁を乗り越えることを軽く見がちかもしれない。それは、”コロンブスの卵”的な発想の転換があってこそであり、先人の知恵の本質を軽く見ているからだ。後から聞けば簡単に思えるこの発想の転換。常人は言われれば気づくけれども、言われなければ永遠に気づけないものだ。この発想の転換を思いついたその先人こそが、世の中を変えていく”天才”なのだと思う。
どんな社会でも、やはり先人がいる。「こんな簡単なこと」って常人は言うけれども、その簡単なことさえ思いつけないのが、常人の常人たるゆえんである。また、本質を知らないから、その簡単なことさえも応用を聞かせることができないので、すぐに壁にぶちあたってしまっている。
やはり、オリジナルな発想をもてるかどうかというのがミソであり、その発想を持てずに上っ面だけを何も考えずになぞるから、全く応用もきかないままに、自分一人でできた気になっているんだと思う。
寂しいことに、先人の多くの歩みはいつの間にか忘れ去られ、記録には残らないままになることが多いのかもしれない。
もっともよく言われるように、”記録には残らないけれども、記憶に残る人”として、彼らは人の頭の中に永遠に生き続けているのかもしれないけどね。
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