忘れたころにやって来る
どんよりと重たい空が広がっている、朝だった。昨日の午後からの雨はあがっていたけれども、今日も太陽とはご対面なしかとあきらめていた。それでも、午前中には太陽が顔を出し、下り坂に向かうとは思えないほどの良い天気となった。
昨日、また能登半島で震度5弱の地震が発生した。今年の正月から同じ場所で何回目の大きな地震だろう。せっかく復興している最中だろうに、また一からの復旧が必要となる。なんか、賽の河原の石積みみたいで、やるせない。
巷では2025年に大災害が発生する等の予言めいたものが見受けられる。なんでも、”たつき涼”さんという人がみた夢で、2025年7月に本当の大災難がやってくるというものだ。なんでも、東日本大震災を予知していたらしい。
いよいよ、”たつき涼”さんのいうところの大災難にむけて、日本列島が大きく動きだしているのかもしれない。今、能登半島付近がゆれているということは、この後太平洋側の三浦半島あたりを中心に動くということなのだろうか。
σ(-"-) は阪神大震災、東日本大震災、熊本地震と、転勤で行く先々で地震に見舞われてきた。今回の能登半島の震災には遭遇しなかったけれども、これは退職して転勤しなかったからかもしれない。
鹿児島に赴任しているころは、桜島が前の噴火から100年ほど経っており、マグマはほぼ満タンだといわれていた。いつ噴火するのか、噴火後の被害も想定しビクビクしながら生活をしていた。
いま、瀬戸内海に面しているところに居住してるのだけれども、太平洋側には南海トラフが控えている。ここは、いつ動いてもおかしくないといわれている。今後は、この南海トラフがいつ動くのかと、ビクビクしながら生活をしなければならない。
それ以外にも、ベトナム戦争時代に徳之島の近海に水素爆弾を積んだ飛行機が沈んでしまったという噂もある。万が一、この爆弾が爆発でもすると50m級ともいわれる津波がおきるそうな。古墳群があり結構高台になっているとはいえ、50m級の津波が来たりでもしたら、とてもじゃないけれどもひとたまりもない。
「災難は忘れたころにやって来る」って言われている。能登半島の人たちは決して忘れていなかったと思うけれども、地震が再びやってきた。何回目かの大地震を被災された、能登半島の方々の無事をお祈りしたい。
そして、今日というありがたい日が無事に過ごせたことと、平穏に感謝しつつ、大災難の予言が想定外のものとなって通り過ぎるよう、「災難を忘れず」に日々を過ごすことにしよう。難がないのに越したことはない。
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