テンサイは忘れたころにやってくる
朝から暑そうな太陽がギラギラと照り付けてきている。空には、真夏並みに入道雲も立ち上がっている。本当に、残暑厳しき折という言葉がしっくりとくる感じである。こちらの地方はすでに2学期が始まって1週間は過ぎている。今日から2学期が始まる地域(東京がそうらしい)もあるそうだ。なんだか、この地域は目立ちたいのか、特性をだしたがっているのか、とにかく維新の会がイランことをしているのかもしれないな。
暦はまわって、すでに9月となった。「天高く馬肥ゆる秋」と昔からいわれているのに、空の色はまだまだ夏色のようで、天高くというにはほど遠い水色のままである。子供のころにみた秋の空は濃い青色で本当に‘‘天高く’’という表現があっていると感じたものだった。9月1日は年明けから数えて210日目で、台風がやってきやすい特異日といわれていた。そういえば、関東大震災も9月1日に発生したんだけ。災害が起こりやすい日なのかもしれない。そんなこともあり、今日は‘‘防災の日’’として災害の備えをするために、防災訓練が行われるそうだ。
σ(-"-) が住んでいる地域でも、10時過ぎにスマホの警報音がなり、防災放送が街中を鳴り響かせている。ちかごろ、ほとんどの住民がスマホを持っているので、スマホの警報音が一斉に鳴り出すと近所迷惑なくらいにうるさい。しかも、その音が不安をあおるような音なので、余計に不安が増幅されるというスパイラルに陥りそうだ。
そういえば、働いているころは震度5弱以上の地震が起こるたびに、自動的に安否確認の電話がかかってきていた。全く関係のない地域でも、震度5弱以上でもれなく連絡が機械的に入ってくる。そして、自動音声に従って現状を登録しなければならない。この登録をするまで、何回でも電話が繰り返しかかってくることになっていた。
起きている時間帯であれば、1回目か2回目にはちゃんと安否確認を登録して終わりにすることができる。しかし、厄介なのは寝ている深夜でも容赦なく電話がかかってくる。寝ぼけてても起きて安否確認ができれば良いが、目が覚めないこともたびたびあった。しかし、相手は機械である。こちらが熟睡していようがお構いなしで、起きて安否確認を登録するまで何回も何回も電話を繰り返しかけてくる。しかも、悪いことにσ(-"-) 電話に出れないときは留守番電話に転送する設定にしていた。この安否確認と留守電預かり通知が深夜に変わりばんこに鳴り響く。あわてて、まちがえて留守電を確認して操作をしても、まったくうまく反応しない。そのうちに、またまた安否確認がかかってくる。そこで、ようやく寝ぼけた頭でも自分の操作が間違っていたことに気づく。
で、ようやく安否確認電話の応答につなげ、無事であることを登録する。もう、このころにはすっかりと目が覚めている。深夜のドタバタ劇はようやく終焉を迎えるのであるが、すっかりと目が覚めてしまって、再び寝ようとしても寝付けない。まったく、迷惑な安否確認電話騒動がこうして何回も繰り返されたことだった。(多分、今もあの会社は安否確認を継続していることだろう。)
退職してからは、あの深夜のドタバタ劇がなくなり、ゆっくりと寝ることができるのは本当にありがたい。もっとも、その分災害への備えが手薄になっているのかもしれないけれども・・・。その意味では、災害に目を向けるために防災訓練をする必要もあるんだろう。なんせ、「災害は忘れたころにやってくる」って言うんだから。災害を忘れずに、きちんと備えておくことがとても重要なんだろう。
それにしても、平成の時代からでも‘‘阪神淡路大震災(1月発生)’’や‘‘東日本大震災(3月発生)’’とか’’益城町における熊本地震(4月発生)’’とか‘‘令和6年能登半島地震(1月発生)’’そして‘‘令和8年熊本地震(8月発生)’’と大きな地震があるのに、なぜ大正時代に発生した‘‘関東大震災’’の日に防災をするんだろう。なんだか、前例主義の極みのような気がしないでもない。前からこうだったから、あるいは決められているから、前例があるからということで、安易にしてしまっているということはないのだろうか。形式主義におちいると、その形式を守ることが優先されて、本来の目的が矮小化されることが多々ある。この災害に対する防災意識を高めていくためにも、本来の目的に沿った取り組みをしていくことが求められていると思う。なんせ、「災害は忘れたころにやってくる」んだから、前例主義とか形式主義に陥ると、上辺だけをなぞって、本来の目的からは外れてしまうことになる。そうなると、かえって災害が起きやすくなり、災害の被害が余計に大きくなるんじゃないかな。σ(-"-) だけでも災害を忘れない意識を持ち続けていたいな。





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