そこに愛はあるんかい
σ(-"-) 子供のころから、物まねの番組を見るのが好きだった。そのなかでも、清水健太郎が行う物まね芸が好きだったのを覚えている。先日、YAHOOニュースで片山さつき氏の物まねなる写真をみかけた。最初は、よくこんな写真を撮って出すものだとYAHOOの見識を疑った。
しかし、読み進めると物まねでデフォルトした姿を示しているらしい。う~~ン、どうなんだろう。このデフォルトの仕方は。これで、笑いが取れると感じている人がいるのだろうなぁ。しかし、物まねされているご本人はどのように感じているのだろう。
なんだか、その人の容姿の一部分だけを切り取って、悪意のあるデフォルメをしているように感じる。どうも、この容姿をいじくる笑いというのが、あまり好きになれない。というか、面白さがいまいちわからない。これって、一種のいじめを助長するようなものではないんだろうか。子供がよく容姿をことさらおおげさに、指摘して、他との違いを囃し立てる。そんな、いじめの構図を垣間見せてしまっているのではないかと思う。
いつの頃なのか、はっきりとは覚えていないけれども、物まね芸人さんたちは対象となる人の物まねをするのに、過剰なデフォルトを行うようになっていたと思う。コロッケとかの物まねは、すこし悪意を感じるようなデフォルトをし過ぎているのではないかと思っていたりもした。清水アキラているだけなのかの差なのかもしれない。
清水アキラの行う、五木ひろしのものまねは、確かに似ていると思う。しかし、歌詞を思いっきり下ネタに振って、それをくそ真面目に表現している。おそらく、下積み時代に演じていたソープランドのネタのなかで、歌詞を変えたら面白いことに気づいたのかもしれない。「たそがれ 横浜 ホテルの小部屋」を「た・て・は・め よ・こ・は・め ホテルの小部屋」と腰つき妖しく歌う姿は真剣だと思う。もっとも、淡谷のり子氏には思いっきり否定されて、まったく評価されなかったのだけれども・・・
物まねって、ただ似ているだけではなくて、好きな人への愛が必要なんではないだろうか。おそらく、ご本人にもこんな形で演じますって了解を得て、お墨付きの中で演じるのが必要なのではないだろうか。本人がダメ出しをしたら、お蔵入りになるかもしれない、それでもそこにその人へのリスペクトなり愛が感じられれば、了解してもらえるかもしれない。
単に容姿をいじって、笑いをとるというのではなく、アッそこにもっていくのか、そうしたらその人によせられるのかという、コロンブスの卵のような発想の転換に楽しさがあるのかもしれない。(たぶん、σ(-"-) 清水アキラに偏向しすぎなのかも・・・)




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