すべては奇跡
アインシュタインが言ったそうなんだけれども、「人生にはたった2通りの生き方しかない。一つは、奇跡などないと思って生きることだ。もう一つは、すべてが奇跡だと思って生きること。」
ということらしい。
σ(-"-) はどちらなんだろう?って思って考えてみると、どうもすべてが奇跡だと思って生きているような気がする。これまでの人生において、なんやらかんやらと言ってもなんとか生き延びてきているんだから、やはり奇跡的な出来事の連続だと思う。
大学にも行ったことだし、就職もつつがなくできてきた。そして、働き出してからも、そんなに悪いことはなかったように思う。勤めていた企業は、会社更生法を適用されてしまった。それでも、社会人人生はそのまま続けることもできた。なによりも、65歳まで勤め上げることができたんだから、これは奇跡的なことだと思う。
あまり気乗りしない仕事や、厭な仕事もあったけれども、今振り返ってみると、それらの仕事のおかげで色々な経験を積ませてもらえた。社会人留学や海外への派遣なども経験させてもうという奇跡もあったなぁ。そして、社会人人生も今振り返ると、その一つ一つの経験が人生の中にアクセントのように彩っているものだったともいえるだけの余裕を持つこともできた。そして、今や年金生活という”FIRE”を満喫しているんだから、本当に人生って奇跡の連続だ。(もっとも、雀の涙の様に少ない年金なんで、日々これ節約に励んでいるけれどもね。)
本当に、綱渡りのような中で、ここまでやって来れたのは、奇跡の連続のおかげなのだろう。そういえば、σ(-"-) 大学時代の友人の一人は60歳を目の前にして、お亡くなりになった。ちょうど、コロナ禍のころなので葬儀にも行けなかった。ひょっとすると、コロナ関連での死亡だったのかもしれない。それにしても、厚生年金を納めるだけおさめて、これからという時に亡くなって鬼籍に入ってしまったのだ。悔しかっただろうなぁ。これから、第二の人生を楽しめるっていう時だっただろうに。
故郷をでてもう43年にもなるけれども、すっかりと神戸の地には縁遠くなり、学生の頃の友人たちと会う事もない。それでも、こうやって無事に生きていられるんだから、やっぱり人生すべてが奇跡のようなものなんだと思う。そして、これからも奇跡の連続の中で、生活をしていくんだろう。今あるこの生活に感謝をしながら、これからも迎えるであろう人生の奇跡にも感謝をしていこうと感じている。
アインシュタインって、「人類の最大の発明は複利だ」と喝破した人だけだと思っていたけれども、人生の要諦も喝破していたんだなぁ。でも、彼自身は人生はどちらだと思っていたんだろう?

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