談話ではなく見解ってどうよ
今日も、朝から太陽が容赦なく照り付けてきている。日差しが肌に痛いほどである。なんだか、半袖から出ている腕は真っ黒に日焼けしている。どうも、日焼け止めを塗っていなかったために、こんがりと焼けてしまったみたいだ。今更ながらではあるが、日焼け止めを塗らなくっちゃ。
今年は昭和100年であり、先の大戦から80年となる。この節目の年の8月15日に向けて、政府は戦後80年の談話について発表をしないことにした。しかし、”腹話術人形”石破総理は、せめて見解を発表したいと意欲的な動きを加速させているらしい。
10年前の戦後70年の節目に、政府としての”戦後70年談話”を発表し、一つの区切りをつけたはずだ。非常によく練られた内容の談話であり、
見解という名にするにしても、世界の方々からしたら”日本の総理大臣”が示した考えであり、それが日本における認知された考えだと認識するのは当然のことだと思う。それなのに、個人の思いや感想を”見解”という言葉で、国民の目を欺きながら、見解を出すのはやめてもらいたい。特に、この”談話”だけは政治的にも非常に重たく、センシティブな部分を内包しているものだ。特に、70年談話は客観性を持たせるために長期間にわたって有識者会議で熟議を重ねた結果に発信したものである。その熟議のおかげで、すべてが言い尽くされている。そして、特筆すべきことは、次世代、子々孫々に謝罪させ続けないようにしたというところが、この談話の一番のポイントである。
それを、”腹話術人形”石破総理の、歴史的に名前を残せるかもしれないという、自己満足的なとんでもない欲望だけで、見解を出すなんてことはやめてもらいたい。閣議決定として、今年は談話を出さないことを決定しるのに、それでも見解を出したがるのは、おそらく70年談話とは異なることを言いたいのではないだろうか。
”腹話術人形”石破総理の個人的な見解や勝手な思いを発表する場でもない。ましては、一度総理が口にしてしまえば、内容によっては国益を大きく毀損する可能性をはらんでいる。やはり、”腹話術人形”石破総理は世間でいわれているように、ハニートラップに自ら飛び込んでいって、がっちりとからめとられているのかもしれないと思ってしまう。70年談話で戦後は区切りがついてしまったことになっていることが、中国や韓国にとっては都合がわるいのだろう。”腹話術人形”石破総理を通して「見解」を出させて、先の戦争について再び蒸し返して日本を貶めようとしているのかもしれない。石破くんって、どこまでいっても、”腹話術人形”でしかないんだなぁ。
コメント