鶴彬を知っていますか

 午前中に買い物に出かけたけれども、陽射しの下では吹いてくる風が熱風の様に顔に当たってくる。残暑とかいう、生易しいものではない。まだまだ、猛暑の脅威を受けなければならないような酷暑が続いている。いつまで、こんなに暑い日が続くんだろう。もう、身体は暑さにやられて、バテバテですよ~。




今年は戦後80周年だ。そして、昭和100年にもあたる。さらに、8月には終戦記念の日があるので、昭和の話がよくでてくる。そして、その中には当然、戦争の記憶も語られている。戦後80年ということは、その戦争の記憶が喋れる人は90歳を超えている人が多い。大変な時代を生き抜いてきた方々だ。ものが無くて、困窮の時代に幼少期を過ごされたことなんだろう。


σ(-"-) の親も生きていれば、105歳と100歳になっている。”死んだこの年齢を数えるな”といわれるが、戦争に人生をほんろうされている。そして、戦後の復興や高度成長期の日本を支えてきたと思うと、頭が下がる思いだ。海外旅行などはとんと縁がなかった。親父は、南方に出征していたこともあり、インドネシアへ遺骨収集に行きたがっていたけれども、その思いもかなうことはなかった。なんだか、当時の方々は、苦労に苦労を重ねて人生を過ごしてきたような感がある。

σ(-"-) は高度成長期に幼少期を過ごし、途中オイルショックでトイレットペーパーが無いと騒いだりしていたけれども、その後もバブル景気など楽しい時期も多かった昭和の世代だ。海外旅行にも行くことができたし、とても良い昭和の時代を満喫できた。


マスコミでの論調は、”反戦” 戦争は良くない、戦争を二度としてはいけない、と声高にいっている。きれいごとを、オールドメディアのマスコミは唱えるだけで、自分に都合の悪いことは語ろうとしない。かつて日本に”鶴 彬”という人がいた。川柳という形式で反戦を貫いていたけれども、もうほとんど忘れかけられていると思う。


彼が作った川柳ですが・・・・

”万歳とあげていった手を大陸においてきた”

”手と足をもいだ丸太にしてかへし”

”修身にない孝行で淫売婦”

”塹壕で読む妹を売る手紙”

”正直に働く蟻を食ふけもの” ”王様のやうに働かぬ孔雀で美しい”

なんとも、すさまじい感性で読み上げています。これでは、さすがに当時では当局に目をつけられ、発表するごとに活動の範囲を狭められてことでしょう。いまでも、こんな川柳を読めば、周りからドン引き、守ってくれる人などいなくなりそうです。

オールドメディアのマスコミが決して口にできないだろう、庶民の悲しみ、苦しみを見据え切っている。当時だって今だって、マスコミは時の政府には何も言えない。それどころか、お先棒を担いで政府の先鞭をつけている。表面上は反戦だ、リベラルだ、正義の味方だと言いながら、その実は甘い蜜にたかっているだけだ。もっとも自分たちのいう事から遠い位置にいるからこそ、反戦やリベラルやら正義を口にできるのだ。自分にないものを欲しがっているだけでしかない。


力に任せて、国際秩序を変更してやろうという国が出てきている時だからこそ、”鶴 彬”のような辛口のものの見方も必要となるのだろう。しかし、マスコミはそれは嫌がって、なるべく知られないようにそっと隠しているのだろう。自分たちのあざとさを知られないように。いつの世も、お偉いさんは後ろにいて決して傷つかず、駒としての国民だけが前線に立たされて時代に翻弄される。

戦争を起こしたのは、当時も政府の高官や軍部であり、国民が起こしたものではない。しかし、被害を一番受けているのは前線にたたされる一般庶民だ。戦争の悲惨さは、国民にのしかかってくるのだから、政治家や官僚の判断が「机上の空論」であっては困るのだ。ならず者国家が侵略をしてきたときには、国民が惨状を被ることとなる。そうならないように、いかに国を守るのかという事を日ごろから考えておく必要がある。ウクライナの惨状を見るにつけ、その思いを強くしてしまう。


先の大戦で尊い御霊を散らされた方々の、安寧と、静かに祖国をお守りいただいていることに感謝をしていきたい。本当にありがとう、皆さんのことは決して忘れません。








鶴 あきら


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