ええじゃないか

 昨日の雨で、少しは涼しくなるのかと思ったけれども、蒸し暑さだけが残ったような気配だ。外を歩くと、太陽が肌にさすように痛い。こりゃ、熱帯地方のような暑さだなぁ。危険な暑さっていうのが、肌身を通してわかる。熱中症に気をつけて、しっかりと水分と塩分を採るようにしないといけないな。




少し遅ればせながらではあるけれども、今年の7月5日はフィリピン沖での大爆発が起こることも、日本に大津波が来ることもなく、何事もなく無事に過ごせることができた。あれほど、ネット上で騒がせた、大災害がやって来るという事だったけれども、今回もまた何事もなく過ぎ去っていった。


そういえば、子供のころからの”ノストラダムスの予言”だの”2000年問題”だの”マヤの予言”だのという、終末思想はことごとく外れているのを経験している。もっとも、”終末思想”というのは昔からあるもんだ。確か、平安時代のころには既に”末法思想”が流布されていたと、書物に書かれていたように思う。あれは、社会科の教科書だったのかもしれない。

ともあれ、人間は将来に対する漠然たる不安から、どうしても終末期には”終末思想”を広めたがる習性があるのかもしれない。そして、そのたびに起きもしない大災害や世界の終末への不安から、ありもしない風評をたてている。そういえば、江戸時代の末期には「ええじゃないか」という、末法思想というか終末思想が大流行した。これなどは、江戸幕府の行き詰まりにより、社会生活にもストレスがたまり、将来が見通せないという不安がさらなるストレスをあおり、出口の見えない中で、ストレス発散を”ええじゃないか”と囃し立てて、なんとか精神のバランスを保ったということだろう。


そうみていくと、今回の予言騒動なんかも、現代における仕事や人間関係に疲れてしまっていることや、将来に対する不透明感から来る不安、政治は二世が跋扈し脱税や裏金疑惑と腐敗しており、経済も失われた30年と混迷を極めている。こんなストレスを、健全に吹き飛ばすべくおこった、一抹のオアシス的なものであったのかもしれない。

σ(-"-) これまでに、阪神大震災、東北大震災、熊本地震と実際にあって来た身からすると、たまにこういう警告で災害に備えることも悪くはない。備蓄しているストックをローリングさせたりしながら、備えを一新することもできるからだ。もっとも、コロナ禍の時はマスクを手配出来ずに困惑したことを覚えている。


もっとも、今回については政治的にも自公政権の行き詰まり感が甚だしいことも、予言が流布された一因となっているのだろう。昔から、時の為政者が無為で無能な時に限って、災害は起こっている。そういう意味でも、現在の総理大臣や各大臣の無能さや無為が際立ちすぎていることには充分注意しなければならない。ただ、「いたずらに恐れず、的確に対応していく生活」をしていきたいものだ。





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