他人の痛みをわからない人が増えすぎ

 そろそろ、天候も安定するのかと思っていたのに、今日も大気は不安定なようだ。雨は降っていないけれども、なんともすっきりしない空模様だ。おまけに、少し肌寒い感じがする。すこし、初夏の陽気は遠のいていったのかもしれない。




なんだか物騒な事件が毎日のように報道されている。東で交際相手の遺体が床下から出てきたり、高速道路でが逆走をして重大な事故を起こしている。そして、西では小学生に車を突っ込んでいた。さらには、ポルシェに乗った若者が飲酒運転でバスに突っ込んでいたりもした。

一昨日に東京の地下鉄で刃物を振り回していて逮捕されたと思えば、昨日も大阪では刃物で人切るつける事件が起きている。


どうも、春先には”やばい人”が表れやすいけれども、それでも今年は少し巨悪事件へとつながることが多すぎるように思える。

そして、今度は小学校に突撃した男たちが逮捕された。なんでも、小学校に通う母親の友人が、学校の対応に腹を立てたようだ。

なんだか、心のおもむくままに、後先を考えることなく動き過ぎているんじゃないかな。昔の日本では、大人が周りの子供たちに注意をしたり、怒ったりしてくれたものだ。そこで、やって良いことや悪いことを身につけてきた。そして、人の痛みもわかるようになってきた。人の痛みも感じ取れるから、人の温かさも感じ取れるようになり、次の世代に善悪を引き継いでこれていたのだと思う。

そんな時代が、いつの間にか多様性や個性、自己の確立という言葉の陰で、無関心という病にむしばまれてしまったのではないだろうか。この、無関心の中で育ってしまった親世代がいまやモンスターになって、もうカオスの世の中になってしまったのか。

権利を主張することには長けているけれども、義務を果たすことは敬遠したがるような風潮が蔓延しているのではないだろうか。自分さえよければ、社会はどうなろうと知らないという風潮が見受けられるように感じる。スーパーに行っても、買い物かごを使ってそのまま返さない、返しても後の人を考えず取っ手がとどうなっていていようが、後の人が入れれなかろうが、カラスの勝手とばかりに放り投げている。自己中心的で、自分さえよければ良いっっていうのが今の社会なんだろう。


時代が変わってしまって、ハラスメントっていう言葉をつければ「錦の御旗」のように正当化されている。体罰なんて、滅相もない。そんな時代になってしまったから、人をたたいたり殴ると、相手は痛いという事が理解できなくなっているのではないだろうか。親の躾であっても手を上げることは問題となっている社会なだけに、こらえるとか、我慢する、自分を抑えるっていうことが分からなくなっている人が増えているのだろう。だから精神的に弱くて、追いつめられるとすぐに刃物を持ち出してしまう。

昭和の時代が良かったから、昭和の頃の通りにしろとは言わないけれども、変えていかなければならないものは変えていくのは当たり前だけれども、変えてはいけないものまで変えてしまっている今は、少し違うと思う。変えてはいけないものは、変えないという勇気をもつことが、文化や日本人の良さや美徳を保っていくのに欠かせないことではないのだろうか。

あくまでも、ごまめの歯ぎしりみたいな、ジジィのつぶやきなんだけどね。



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