日産とホンダの企業統合は破談らしい
日産とホンダの企業統合話が破談になったという報道がかしましい。σ(-"-) にとっては、いつか見た光景が、また繰り返されているといえる。そう、完全にデジャブだ。小が大を飲み込むような企業統合の話がでる時には、必ずと言っていいほど、同じような光景が繰り返される。
世間的には、もうそれしか方向性はないだろうという認識であっても、当事者にはそれがわからない。そして、けちなプライドと甘い思い込みと希望的観測が、判断にバイアスをかけてしまう。間違った仮定の下、正しい判断ができなくなり、結果、最悪の選択をしてしまうというものだ。
こんな夢をみた・・・
かつて、1982年に当時のニチイとユニーが企業統合するという話が沸き起こった。12月30日の日経新聞にすっぱ抜かれた特ダネともいえる。当時は、小が大を飲み込んで業界2位の大企業が出現するという、夢のような話だった。しかし、この話も年明けには雲行きが怪しくなり、結果5月を待たずに破談となった。
当初は、対等合併とか言われていたが、ふたを開けると対等ではなかった。株式1:5くらいだったと思う。(記憶が定かでないので、ごめんなさい)これに、ニチイ側が反発し御破算への道をまっしぐらに進んだ。この時も、ちっぽけなプライドと甘い自己評価と希望的観測によって、破断して自分たちでやっていくという選択をした。
当時、ニチイは業界5位で社長が急逝し混迷していた。大店法の規制の下、店舗出店も厳しくなり業績の悪化はどこよりも大きかったと思う。そんな中での、第一勧銀主導?の話だと思う。地盤もかぶらず、相互にとって損のない話のように思えた。しかし、経営陣はどちらが主導権を握るかで、暗躍していたようだ。結果、ニチイ側が主導権を握れないと徐々に判明するに従い、小が大を飲むことに対する不満と、自分たちのプライドが許さず、破断への判断へと傾いていった。
いやぁ、ほんとデジャブな夢をみたもんだわ・・・
おそらく、今回の日産も同じような経緯ではないだろうか。しかし、どうみても日産に明日はあるのだろうか。資金が潤沢にあり、時間的猶予が無限にあるのであれば、日産の勝算も立つだろう。しかし、どうみても資金の不安もある、時間的猶予も限定的となると、過去の栄光やちっぽけな経営陣のプライドなんかはいらない。そこにいる労働者を路頭に迷わさないために、自分たちが死んでもその気概・精神・伝統を人を介して残しきることが重要であると思う。
経営陣の代わりはなんぼでもいる。しかし、技術の伝承や、伝統、精神、といった企業文化を継承できる労働者の代わりはいないのだ。経営陣はいつもそこを間違える。君たちは、いついなくなろうが、かまわないのだ。それよりも、企業を残すこと、そして企業の良い伝統文化を継承し続けることが、重要なんだと思う。
今回の話も、最初に報道された時から、おそらく破談になるだろうと思っていた。そして、今回の話は窮地に立っている日産を何とか救済すべく、経産省が絵を描いて進めてきたのではないかと思う。
これを破談させてしまうと、経産省はオ・カ・ン・ム・リなっているだろうし、日産はニッチモサッチモ行かなくなるだろう。外資に助けを求めるかもしれないが、もう日産という企業文化はそこでとぎれてしまう。かえすがえすも、日産は〇田というとんでもない輩をトップにいただいて、ちんけなプライドと過去の栄光にすがりついて、よみがえるチャンスを失くしてしまったのではないだろうか。
先の流通業界の話では、ニチイは一時的に時代の寵児となった。バブル経済に乗って、流通業の最先端ともいわれるほどの寵児となったが、そのあと2001年9月14日に民事再生法の申請を行い、11月22日に会社更生法申請、2003年11月29日イオンの完全子会社となった。
日産は、いま自分達の手で企業の再生に向けて何をなすべきなのか、わかっていないのではないだろうか?経営陣は、自分が生き残ることよりも、企業文化と伝統を、次の世代に繋いでいくために何をなすべきなのか、もう一度真摯に考える時だと思う。
”一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし”
日産の内〇社長さん、わかるかなぁ~~、わかんねぇ~~だろうなぁ~~~
っていうか、わが社が経営危機に陥るなんて、縁起でもない夢はさっさと覚めくれ、っていうのが社長の感想かなぁ
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