ブラックアウトの夜
昨日、四国地方で大規模停電が発生したそうだ。一部の地域ではなく、四国全域での停電だったらしい。一瞬テロでも発生したのかと思ったけれども、そうではないそうだ。
電力は他の地域と融通しあっていて、今回は四国から関西への供給が多くなりすぎて、四国内で停電が発生したなんて、初めて知った。すでに、復旧しているらしいのだけれど、停電にあわれた四国地方の方々にお見舞い申し上げます。
σ(-"-) は今関西圏に住んでいるけど、この地域の電力も四国から供給された電力でも賄っているっていうことなのか。その割に、四国と関西では電気代が違って、関西の方が安いんだけど、どうなっているんだろう。
かつては、四国に転勤で勤務したことがあるので、知り合いも結構いる。その人たちも、昨日は停電で大変な目にあったのかもしれないと思うと、心配になってくる。近頃は、オール電化の家もあったり、冷蔵庫やエアコンや洗濯機、テレビと大型化している。また、トイレさえも洗浄機能付きとかで電気がないと使用できなくなる。そのうえ、パソコンやスマホとほとんどの製品において電気に頼って生活していることを再認識させられる。
マンションは高階層となり、エレベータがないと自分の部屋に行くのもエントランスまで下りるのも大変なことになってしまうという問題もある。
かつては、電池で動くものや手動で発電させて動くものもあった。いまや、そのようなものは見なくなった。
確かに生活は便利になった。しかし、電気が来なくなるとその便利さは、一転して使えない不便に変わり果ててしまう。デジタルばかりがもてはやされているけれども、アナログもやはり必要なのではと思ってしまう。
これから、少子化の影響でどんどんと労働力が減少していく中で、現状の日本のインフラを維持していくことは大変なのではないだろうか。南海トラフ地震の発生が懸念されている近頃、地震や災害はどこに発生するかわからない。
電気・水道・ガスといった社会的インフラは、あって「当たり前」であって、常日頃はその価値に気付かないものである。この当たり前を支えるために、様々な人がそれぞれの職場で昼夜を問わず働いていて、地域社会が成り立っている。今回の停電のニュースに接して、常日頃なんとなく生活をしていて、素直な「感謝の気持ち」が薄れていたことに反省をした次第です。じじぃにもなんらかの役割があるのかしら?
♪♪♪
Not giving in, giving up Not giving in, giving up
and not running away keep on believing in myself
baby, when you don't feel like trying to climb
that's the most precious thing you can do
♪♪♪
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