水切り遊びが流行っているらしい
重たそうな雲が頭の上に広がっているけれども、なんとか雨も降らずに保っている。九州の方では大雨みたいだけれども、梅雨前線が南の方に下がっているので、今回は南の海上の方に雨が降るようである。しかし、すこし湿度が高いようで、蒸し暑さが身体にまとわりついてくる。
川面で石を投げて水切遊びをする人が増えているらしい。特に、この初夏のころ辺りは暑さをしのいで川の涼みを感じられるので、結構多くの人が川に向かって石を投げている。家族連れで、石を投げて水切りを楽しんでいる光景は、結構のどかで楽しそうだ。水辺に入ることもなく、安全に遊べそうにも思えてほほえましい光景ともいえる。
川面での水切りをする人が増えると、その遊びを何らかの大会に結び付けようとする人たちが出てくる。案の定、多くの清流と言われる日本各地の川では、水切り大会が開催されるようになっているそうだ。その川で水切りをして遊ぶことは、その清流を世に知らしめることになり、観光がてらの訪問者や観光客も増えてよいことだと思う。ましてや、観客がふえれば周りの商店も活気づいて経済効果が上がることだろう。自分たちの故郷の清流という観光資源が、地域の活性化や経済の活性化につながり、地域を盛り上げる一助となればこれほどの観光資源の活用はないだろう。しかも、役所が考えるどこにでもあるような箱ものによる地域活性化でなく、そこに行かなければ体験できない地域活性策なので、独自性を確保したその地域ものとして唯一のものとして貴重な資源の活用と言える。
そんな、楽しげでほほえましい遊びの延長戦であり、地域活性の一助となる石投げによる水切遊びが、大会として有名になればなるほど、各地の名人が参集することとなる。名人が来ることは、普段見れないとんでもない水切りの妙技が見られるの良い機会だ。しかし、この大会に勝敗とかを決するとなると、とんでもないことにもなりかねないのではないかと危惧している。
勝敗をつけることが悪いことではない。σ(-"-) が問題だと思うのは、あまりにも目先の勝負にこだわり過ぎて、環境問題を無視しているのではないかという事である。σ(-"-) がまだ現役で働いていたころ(多分、30年位前だと思います。)、宮脇教授による土地本来の潜在自然植生の木群を中心に、多数の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」の講演を聞いた。今でも覚えているのは「里の鎮守の森、椎、椨、樫」と言ったキーワドだけれども、その地にあった樹木がその地域の環境を守っている。人間が自分たちの都合で植林した森は、人間の手が入らないと維持できない。その土地本来の森であれば、火事や地震などの自然災害にも耐えうる能力を持っているけれども、人工的なの森では耐えられない。人工的なな森は200年程度かけて、その土地にあった本来の森の姿に戻すのべきなのだというものだっとはず。
似非環境家が、環境問題について語る時に、表面的な環境への影響とか、短期間の視点でしか語らないことが多い。その地域の本来の生態系とか地域と独特の環境について考慮しているとはとても思えないことが多いことが気がかりだ。この石投げによる水切も、勝負に固執し過ぎるあまり、その地域では取れない石を持ち込んでその競技に参加している人もいるらしい。あろうことか、自分で跳ねやすい石を作り上げて持ち込んでくる人もいるという事だ。それらの石には、どんな微生物が住み着いていて、競技が行われる川の生態系をどれほどに乱すことになるのかも考えずに、自分の勝利のためだけに古来からはその地域にない石を持ち込む。こんな暴挙は許されないのだと思う。そんな、些細なことを気にするなという人もいることだと思う。しかし、考えてもらいたいのは、そのきれいな清流を将来にわたって維持し続ける責務を我々は背負っているはずだ。そのためには、その地域の石で協議を楽しむという心を持ってもらいたいと思っているだけなのだ。一度、その環境を破壊すると100年、200年と膨大な期間を費やさないと元には戻らないと、宮脇教授のお言葉を思い出していただき、単に勝負だけではなく地域の環境と共生できる生き方をぜひしてもらいたいと思っている、年寄りの戯言なのです。





コメント