身勝手な行動
5月も中旬になって、夏日の日が続いている。かつては、こんなに早く夏日となったかなぁ。もうすこし、過ごしやすい日々だったように思うけれども、これは昔の良いことだけを思い返しているんだろうか。ただ、暑くなっているおかげなのか、イワシやマグロが大漁となっているらしい。ちかごろ、暗いニュースが多い中で、こちらは本当に良いニュースだよなぁ。
近ごろ、近くの公園周りをウォーキングしていると、頻繁に猫にエサをあげている人と出会う。まぁ、σ(-"-) のウォーキングの時間が、ちょうどエサやりの時間帯に合致しているからなんだろうけれども、同じ人がその時間帯に、数か所で猫にエサをあげている姿を毎回のようにみかける。その人の飼い猫ではなく、この公園を根城に強いている野良猫にエサをあげているようだ。
公園内には、「野良猫には猫をあたえないで」という看板がいたるところに立てられているけれども、一向に気にはしていないようだ。もしかすると、文字が読めないのか。そんな、令和の時代に文字の読めない人はもういないだろう。とすると、やはり読む気がないのか、読んでも理解できないのか、無視をしているのかだな。
野良猫が住み着いてしまう原因となる行為をしている人は、きっと自分では良いことをしている心優しい人と自己満足に陥っていることなんだろう。食べ物もなくお腹をへらしている野良猫に対して、せめて食料の心配がないようにしてあげているという偽善的な優しさなんだろうな。そこまでして野良猫が心配なら、”家で飼ってあげればよいのに”と思うけれども、それは絶対にしそうにない。なんせ、家で飼うとなると、糞尿の始末もあることだろし、家を空けることもできなくなる。自分の都合のいい時だけのやさしさでしかないから、やはり偽善なんだろう。
ふだんは一人ぼっちで、孤立している人が、自宅では猫を飼えないけれども、エサをあげることで野良猫との触れ合いが唯一の癒しの時間となるのかもしれない。おなじ独り者同士が同病相憐れむような気持で、野良猫を守ってあげていることによって、自分も守られているかもしれないという気持ちになっているのかもしれない。エサをあげていくと、野良猫はいつも待っていてくれるようになり、その人が来るとなついてきてくれる。そうなると、自分は一人じゃない、自分のしている行為が野良猫にも伝わっているんだという自己肯定感にもつながるのだろう。
エサをあげているという行為は、なんとなく「野良猫に対して心優しい行い」のように感じているのかもしれない。だけども、公園内やその周辺の住民には多大な迷惑をかけていることだという事が想像できないのだろうな。糞の問題もしかり、悪臭もするだろう、カラスやハトなどの別の動物もやって来ることによる生活環境の悪化も考えなければならない。そして、なによりも野良ネコはエサを与えられることによって、自分からエサを取ることはなくなり生態系へも影響があるに違いない。エサをあげることによって、野良猫の数が増え続けることになると、駆除をしなければならないとか、近隣住民とのトラブルとかにも発展することだろう。
なんだか、野良猫への餌をあげることは、一時的には優しい行為のように見えながら、結局はその野良猫たちを不幸に追い込んでいる行為そのものになりかねない。本当に、野良猫たちのことを考えるのであれば、”可哀そう”という感情と”自己満足”の感情だけで行動してはいけないのではないだろうか。自分の行為が周囲へ及ぼす影響まで考えることが、一人前の大人の取るべき行為なんだろう。身勝手で無責任な行為は慎んだ方が良いとおもうけど・・・ご本人たちはおそらく”餌をあげる”偽善を止めることはないんだろうな。




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