間違い探し
5月らしいすがすがしい陽射しの差す日となっている。気温も丁度よいくらいである。一番過ごしやすいと思われる季節だ。ずっとこの調子なら、どんなに過ごしやすいことなんだろう。でも、あまりにも気持ちよすぎて、人間としてだらけてしまうかもしれないな。連休明けなので、休みボケとか5月病にならないようにしてもらいたいものだ。
先日、新潟から福島に向かっていた、ソフトテニス部の生徒たちを乗せたマイクロバスが、事故を起こして21人が死傷するという事故が起こった。この事故で、連日のように報道合戦が行われている。学校の主張とバスを手配した運営会社との主張が異なっていることから、マスコミの方達は非常に高い熱量でこの事故について報道している。ワイドショーだけでこの事故を取り上げているのではなく、ニュースでも毎時間の定時ニュースでも報道している。ニュースがワイドショーかと思うほどだ。
同じような構図の、辺野古のボート転覆による高校生と船長が死亡した事故については、こんなに熱量をもって報道をしていなかった。高校の先生が関与しており、高校の行事で生徒一人が亡くなっている。よく似た構図の自己であるにもかかわらず、かたやワイドショーの主役を張るほどの取り上げ方であり、かたやひっそりと何事もなかったかのような取り扱いで終えている。
マスコミの方の、この熱量の違いというのは、どこから来ているのだろうかと、σ(-"-) は訝しく思ってしまう。もともと、ねじ曲がった、へそ曲がりの、天邪鬼な思考を持っているσ(-"-) なので、よけいにイランことを想像してしまう。
この二つの事故の違いはなんだろうと、ふと思い立ってみた。そこで、よく似た事故の取り扱いの 違いについて、間違い探しによって探ってみることにしてみた。どうも、事故を起こした原因は、人命よりもコストを重視したという面では似通った構図である。違いがあるとすれば、事故を起こしたのが、新潟の件では”企業”であり、辺野古の件では”ヘリ基地反対協議会”という思想家グループである。どうも、このあたりが報道に置ける姿勢の違いに現れているような気がしてならない。
報道関係を生業としている人達は、どうも進歩人を気取っている面が無きにしも非ずだと感じている。しかも、批判的な視点を旨としているのかもしれないけれども、どうもリベラル的な思想がにじみ出ることが多々あるようにも思える。おそらくは、戦争時の報道の在り方を反面教師として、権力への批判ということが金科玉条になっているのかもしれない。その辺りから、辺野古の事故についてはシンパシーを感じ、新潟の事故については私企業の利益追求という視点を追求したいという思いが強く出ているのではないかと思う。
しかし、このような偏向報道が、かつての戦争時の報道の姿勢と変わっていない事なんだという本質に気づいていないのか、気づかないふりをしているのではないだろうか。かたや正義の味方のような論調を行い、かたや腫れ物にさわるかのように隠匿していく。まったく、報道の姿勢は80年近くたっても、当時の権力に媚びを売る姿勢が反対になっただけで、一切変わっていないように思えてならない。
マスコミの人たちはよく、「人の命は地球より重たい」という常套句を口にする。しかし、今回の事故を見ても、すごく偏った考え方をもって報道しているように思えてならない。新潟の事故について報道する一方で、共産党やら社民党の福島党首も絡んでいるような、リベラル派の辺野古の事故についても、きちんと糾弾をしてもらいたいものだと思うのだった。今のままなら、マスコミそのものがダブルスタンダードを証明しているようなもんじゃないのかな。




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