にほん昔話 栄枯盛衰
今日も、20度を超えるような暖かくて、過ごしやすい日となった。近くの公園では、桜の花が徐々に咲き出しており、多くの人が花見を楽しんでいるようだった。カートに荷物を詰め込んで、花見にやってきている人もいた。今週は、まだ咲き始めだけれども、来週には満開から散り初めの頃にうつっていることだろう。ほんと、桜の花の盛りって短いよなぁ。
論語、論語、赤穂・・・あっ、言い間違えた。
Long Long Ago そう、昔むかし
ある島に玉金というお爺さんが住んでいたそうな。
玉金爺さんは、島の生活をなんとか良くしたいと考えて、その島の政治家になったそうな。しかし、玉金爺さんの所属している政党”国民民主党”は小さく、知名度は全くなかった。選挙のたびに、少ない仲間はぎりぎり当選を果たしていたが、比例ではほとんど議席を奪う事はなかったそうな。そのため、少なからずの幹部でさえも、党を見限り”立憲民主党”へと合流していったそうな。選挙をするたびに、比例復活当選のあまい誘惑に負けて、”国民民主党”から”立憲民主党”へと党を逃げ出す議員も相変わらずいたそうな。
そのころ、国民民主党の代表であった玉金爺さんは、われわれは”3匹のカエル”であるという、覚悟を持ちながら活動を地道に繰り広げていたそうな。
3匹のカエルの話とは・・・要約すると、
三匹のカエルが牛乳瓶の容器の中に落ちました。
一匹目のカエルは、悲観主義で、何をしてもどうせ駄目だからと考えて、何もせずにおぼれ死にました。
二匹目のカエルは、楽観主義で、何もしなくても結局うまくいくだろうと考えて、何もせずにおぼれ死にました。
三匹目のカエルは、現実主義で、自分にできることはもがくことだけだと考えて、もがいているうちに、足元にバターができたので、バターをよじ登って、ひと飛びして容器の外へ逃げ出すことができました。
玉金爺さんは、今自分たちができることは、何もせずじっとしていることではなく、この状況から抜け出して、飛躍に向けてどんなことでも試行錯誤、実験をしながら自らで環境を変えるのだと、周りを鼓舞しましたとさ。そして、とうとう玉金爺さんは党勢挽回策として、”対決より解決”というフレーズによる生活者の視点を党の政策として打ち出すこととしたそうな。これは、”立憲民主党”が人の揚げ足取りと批判ばかりで政治を前へ進めようとしていない事への裏返しとも言えた。
この”対決より解決”のフレーズと、”勤労者の手取りを増やす”という政策は、若年層を中心に働いている人達の心に突き刺さり、支持層を大きく広げることとなったそうな。当時は、国民民主党って風が吹けば吹っ飛んでしまうほど、全く存在感のない政党だった。たしか、立憲民主党の支持率が10%弱のころで、国民民主党は3%いくか、行かないかの立ち位置だった。
党としての存在意義を明確にできたため、党勢は徐々に回復に向かっていったそうな。与党からも秋波を送られ、若者を中心として玉金爺さんへの期待感は、かつてないほどに盛り上がったそうな。
しかし、何を血迷ったのか、玉金爺さんはあまりの突如の追い風に天狗となってしまい、玉金という名前を逆にしたかのように、若い女に目をくらませたそうな。おかげで、せっかくの党勢回復も、一旦はご破算になりかけていったそうな。やはり、人間、好調な時ほど己の身を律しないといけないものだわな。玉金爺さんは若い女に現を抜かしていたことを、世間のみんなに知られて、いたく反省をしたそうじゃ。それからは、心を入れ替えて政治の仕事だけに専念することをちかって、村の人に許しを請ったそうじゃ。
玉金爺さんが言い出した、”働く人の手取りを増やす”という政策は間違っていなかった。若い人たちを中心に、将来への不安を抱える人たちの支持を確実に広げていったんだそうな。そんな中、与党がごたごたしていたこともあり、”棚からぼた餅”ともいえる年収の壁103万円を178万円にまで引き上げるこという、奇跡的な僥倖の中で、再び政界の台風の目として存在意義を示すことになったそうじゃ。
その後は、玉金爺さんはすっかりと心を入れ替えて、若い女に惑わされることもなく、村人に誓ったように政治の仕事に精をだしてガムシャラに働きはじめたそうじゃ。そのおかげなのか、支持率も立憲民主党や中(華)道改革連合を大きく引き離して、村の期待を一身に集めるようになったそうじゃ。めでたし、めでたし。
というところなんじゃが、この話には続きがまだまだあるんじゃ。まずは、横で歯ぎしりをしていた、欲どおしい中(華)道改革連合の淳々爺さんの”驕れるものは久しからず”というお話なんじゃが、この話はまた今度じゃ。






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