こんな人とはお近づきにはなりたくない
ようやく少しは気温も穏やかになったように感じる。吹く風も、和らいできていて、冷たいと感じることは無くなった。このまま、春の暖かさになだれ込んでくれるとありがたいものだ。長かった、寒い季節ともようやくおさらばの時期が来たようだ。
たった一本の電話で、2,100食もの赤飯を捨てたということが、3月11日の福島県いわき市であったそうだ。電話は「震災の日に赤飯はおかしい」というものであり、卒業生には赤飯ではなく、非常食の缶詰パンが配られたそうだ。
卒業式の当日の午前中に電話がはいって、教育委員会が赤飯の提供を中止することを判断したそうだ。そして、既に調理済みの約2,100食の赤飯は廃棄されたそうだ。東日本大震災から15年経った現在、なぜたった一本の電話で、食べられる食材を廃棄するという判断がなされているのかということに、なんともいたたまれない気持ちになる。
教育委員会は、電話からの指摘で、すぐさまに赤飯の提供中止を決定したのだろう。これは、おそらくは”事なかれ主義”の最たるものではないだろうか。ここで、赤飯を提供するとまたぞろの批判が集まることとなる。それならば、その批判の元となる赤飯の提供を中止にすれば、自分たちが批判されることはないと、安直に考えたのではないだろうか。
たった一本の電話の主が誰なのかはわからない。ひょっとすると、地域の有力者で忖度をしたのだろうか。しかし、この一本の電話が約2,100人分の卒業祝いを無駄にしたという事実は消えないのだ。電話の主は表面的な赤飯提供中止を決定させ、自分は正しいことをしたと思って満足していることだろう。
しかs、震災を経験したことがあるヒトなら、震災当時(東日本大震災も、阪神淡路大震災でも、能登地震のときでも)食料がいかに不足していたのかを覚えているのだろうか。水や一つの握りが、どれだけありがたかったのかを。そんな状況を経験してきたはずなのに、約2,100人分もの食材を無駄にすることには、全く思いをはせないヒトの電話で、卒業を祝うはずの赤飯が、当日の朝に破棄されて、かわりに缶詰めパンとは・・・
どこの世界にも、人のすることにイチャモンをつける人は必ずいる。物事には色々な面があるので、ある側面から見ると正しいことも、違った側面から見るとおかしなことではないかと見えるものである。そこで、それをすることについてのメッセージを込めた判断をすることが求められるのではないだろうか。今回の件でおそらく卒業生たちは「大人はたった一本の電話で自分たちが非難されないように、私たちのお祝いを取り消した」というメッセージを受けたったに違いない。
進歩人を気取った左巻きの人は、たまに人のあら探しをして、ワザとに曲がった見方から他人の揚げ足を取ることに自分の価値観を見出そうという人がいる。
そういえば、「ちびくろサンボ」という絵本も、長いこと”黒人差別”だといって絶版に追い込まれていた。どこが差別なのかσ(-"-) はまったくわからない。しかし、堺市に住んでいたある市民が、黒人差別であると出版社に抗議活動をしたことが発端だった。崇高な理念の下で行われている活動なのだろうけれども、あまりにも一方的な見方をしているように思える。ご自身たちは目的を達したことによる達成感で、自分たちの行動の正しさを肯定しているのだろう。しかし、この「絵本」って差別なのかはどうも腑に落ちない。なんだか、絵本のアイコンだけの表面的な事象だけをみて、差別だと言っているように思える。この絵本の背景をしっかりと理解していないのではないかとも思える。
しかも、この後も堺市女性団体連絡協議会は「白雪姫」、「みにくいアヒルの子」、「こぶとりじいさん」などが差別的であるとして、修正・改善を要望しているって、なんでもかんでも、やりゃ良いってもんでもないで~。もっとも、ご自身が差別をしているから、差別に敏感だともいわれることもある。堺市女性団体連絡協議会の人って差別に敏感な人たちの集まりだったのかしら。どうも、進歩的だということを誇示したい人たちは、ともすると人とは違った視点を持っているという事を、ひけらかしたいという思いが強すぎるのかもしれないな。そのため、小さなことにも私たちは気づいているんだということを、声高に言いたくなるのかもしれない。
こういう人たちは、現代社会には一定数いるもので、こういう人達とはお近づきにはなりたくないと感じる今日この頃だ。





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